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El Santuario de Chimayo
エル・サントワリオ・デ・チマヨ
『奇跡の砂』 伝説 |
エル・サントウァリオは古くから「アメリカのルルド」と呼ばれています。
ルルドはフランス南西部のカトリックの巡礼地であり、マリアが奇跡の治療をすると信じられている街です。
エル・サントウァリオがどのように始まったのかは、必ずしも正確には分かっていませんが、当初から崇拝の場所でした。
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1813年11月16日
セバスチャンアルバレスはデュランゴに宛ての手紙の中で
「たくさんの人々がこの地を訪れ、様々な病を治療する。驚くべきことが起こっている。」と手紙に綴っています。
なんと、この地で病に苦しむ人々が癒されていたのです。 |
ある時、シカゴ・デンバー・ニューヨーク・ロサンゼルスなどの新聞社やTimeやニューズウィークなどの有名雑誌などのマスメディアがこの地を紹介しました。
その結果、数千人の人々がこの小さな聖なるエル・サントウァリオを訪れるようになりました。今では、この奇跡の伝説を求めて年間30万人の人々がこの小さな街の小さな教会を訪れ、神を受け入れて癒されているのです。 |
聖堂エル・サントウァリオは、l8l4年からl8l6年の間に建立されました。
安置されている「十字架像」は、l8l0年チマヨ近くで発見されたとされています。 |
この十字架像にはこんな言い伝えがあります。
イースターの前の金曜日の夜、チマヨのドン・バーナードがいつものごとく懺悔の儀式をしている時の出来事です。突然、サンタクルス川の近くの丘の傾斜から光が天に向かって伸びているのを目にしました。彼はその場所に向かい、彼は素手でその場所を掘り、その十字架の像を見つけました。 |
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その知らせはサンタクルスの聖職者の耳に入り、この驚くべき出来事を聞きいたセバスチャンアルバレスと人々はチマヨに向かい、その十字架像を迎え入れてサンタクルスの教会の祭壇に祀りました。
しかし翌朝、祀ったはずの十字架像は消え、なんと元あった場所に戻っていたのです。
セバスチャンは再び同じ場所から十字架の像をサンタクルスに持ち帰り祭壇に祀りました。
しかしながら祀ったはずの十字架像が消えてしまう現象は3回起こりました。
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人々は結果この像はチマヨに置いたほうが良いと考え、小さなチャペル、エル・サントウァリオを建立しました。 |
また、エル・サントウァリオは、l929年までの私有の教会でしたが、その後公共の財産となっています。
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『奇跡の砂』
この教会の中には奇跡の砂と呼ばれる砂が湧き出ている場所があります。
教会を正面から見て左側の小さな建物の中にそれはあります。
砂のある場所は撮影禁止です。
5m×8m程の小さな教会の聖具室にあり、その小さな部屋は癒された人々の写真や松葉杖で満たされています。 |
言い伝えによれば、
ある時、神が人々を救う為に教会に現われました。その神が立っていた場所から砂が涌き出しました。
その砂を体に付けると病気や怪我などが治るとされています。 |
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ここにこの奇跡を信じ、癒された証言を紹介します。
2004年10月 ダニーゼK
私は奇跡などというものを知りませでした。
私の娘が15歳になったとき特殊なガンに侵されていると診断されました。
そして、娘には余命がおよそ3ヵ月しかないことも知らされました。
全身の骨の21箇所以上に腫瘍が転移していたのです。
娘は2年前、学校の旅行でChimayoのこの教会を訪れた事を思い出しました。私は娘をここに連れて行き、祈を上げて砂を取り、娘の写真と補助具を置いてきました。
数週後、娘は右の脛骨の痛みに耐え切れず真夜中に目が覚めました。歩く事もできません。
娘はすがる思いでエル・サントウァリオの砂を唾液に混ぜてその痛む足に塗りました。
すると、次の検査で腫瘍が消えていたのです。
担当の医師はこれを説明することができませんでした。担当医は「たとえ腫瘍がなくなるとしても、それがレントゲンに現れないためには何年もかかる。」と言いました。
私たちは驚愕の思いで神に感謝をしました。それは11年前出来事です。
そして、娘は健康を取り戻し、結婚して幸せに暮らしています。 |
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